犬と独り

投稿日: コメントするカテゴリー: フォトフォントワードプレス仕事同居犬

ここ数ヶ月、かわいそうなのがうちの犬だ。以前は自分の運動がてら遠くの方までぐるっとまわってくることもあったのに、今はそんなこともなく、一番のお散歩相手だった父親もいない。今日、久しぶりに少し遠くの公園まで出かけたら喜んでものすごいスピードで走った。

誰もいない公園は草が伸び放題になっていて秋の虫が盛んに鳴いていた。「僕は独りだ」と、改めて思った。

今の時期「この光景を撮っておきたい」と思うことが少ないように感じる。それとも自分の景色を見る感覚がやはり鈍くなっているのかも知れない。カメラも、一眼レフを持ち出すことが少なくなった。お金があり、母親の健康と生活さえ気にする必要がなかったら、どこかにカメラを持って遠出をしてみたい。けれど今はそんなゆとりが、実際にも自分の心にも全くない。

カメラはスマホのものばかり。近くの景色ばかりを撮っている。この間ふと、重い一眼レフカメラではなくて小ぶりなミラーレス一眼に変えたら、カメラをもっと持ち出す気になるだろうか・・・と思ったことがあるけれども、僕は液晶よりはファインダーで対象を見るのが好みだし、問題は写真を撮ろうという意欲が湧いてこないということだからカメラの大きさは関係ないのではという結論になった。

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父の空間と自分のすべきことと

投稿日: コメントするカテゴリー: オーディオ・音楽人との関わり想い出気持ちの整理親の療養生活

もうコスモスの時期になっていたんだなあと改めて思う。父がなくなってから2ヶ月が経った。今年は夏を感じられることがほとんどなかった。病院への行き来は自分の仕事になっていたし、長い入院生活でせん妄もおこしていた父に対応したり案じたりすることでエネルギーをよく使った。おまけにその期間の途中で母親が足を骨折した。同じ病院に入院させて、そちらの様子も見ないといけなくなった。父親が一時期退院してきた時にはその生活の中で自力でできることは少なくなっていた。急つい、ヘルパーさんを頼み、食事や清拭のお手伝いをお願いし介護用ベッドやポータブルトイレを設置してその介助を何度もした。

父親が再び病院へ戻ってから、今度は母親の生活環境を整えることが必要になった。新たに手すりを付けたり、部屋のレイアウトを以前よりもすっきりとさせたりした。母親はなんとかまた歩けるようになったのでそれは良かったけれど、今度またこけたりしたら・・・というおそれが本人にも自分にも出てきて、以後の生活はより緊張を強いられることになった。母親もまた内科的な持病を抱えているので、事故だけでなくそちらにも気をかけないといけない。

父親は家を残した。それは自分の家ではなくて老後の自分の楽しみの場として、あるいは地元の観光の一助になればという思いを込めて作り上げてきた空間だった。この20年間、毎日そこへ出かけては地元の不要になった民具を集めたり、郷土史の研究をしたりしていた。庭づくりやお茶もたしなみ、面白い形の小さなお茶室を建てたりした。そのスタートの時期、心臓を患ったりしたので本当はこの歳になるまでそんな生活が続くとは、その頃はとても考えられなかった。けれどほぼ20年間、良い方向に想像が外れて父が自分のやりたいことをその場で過ごしながら続けられたことは幸せなことだったと思う。

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一日中寝ていたい

投稿日: コメントするカテゴリー: honor6PlusMacイラストレーターフォトショップ体調依頼作業時間の使い方生活リズム

先週半ばあたりから疲労感が増してきて、できれば一日中、寝ていたいと思うようになった。考えてみればこの春、4月くらいから父親の食欲が減退してきて心配をし出してからこれまで、緊張することが多くて、また実際に緊張を呼び起こされるイベントも続いた。父親がいなくなってからは手続き事が重なり、これからまだ手をつけないといけない仕事もある。それらのことを考えていたらなんだか気持ちが限界点を超えていた。ちょっとした刺激でイライラするし、先をものすごく悲観するようになった。

今年はどうも「ツイていない」年のようで、20年近く頂いてきた仕事も父親の状態が悪くなっていくあたりと合わせるように断りの連絡が入ってきたりもした。ちょうど主治医の診察を終えて薬局の駐車場に着いた時に連絡を受けて、確かに今年は発注も随分と遅れていたし、それから仕事をいただいてもかなり焦って仕上げないといけない頃合いだった。けれど仕事を頂いていれば父親の様子を見ながら病院のデイルームででもやり抜こうと考えていた。収入の上では毎年とても頼りにしていたものだったので、このことではかなり力を落とした。その代わりの仕事も入ってくる様子はない。

強い緊張と悲観をごまかすために、MacのOSをこの際できるだけ最新のものへと上げてみることにした。デスクトップは「裏技」を使えばmacOS Sierraにできないことはないようだけれど、ここは無理は避けることにしてこれまでadobeのソフトのためを考えてOS X mavericksにしていたものをEl Capitanへとそのままの状態で更新した。僕のadobeのソフトのバージョンではそこまでは全く対応していないし保証もない。確かにエラーも起きたりする。これではとても仕事で使うべき環境ではないけれども、調べてみると少なくともネット上ではそこをクリアしている人もいるし実際に対処をしてみたらイラストレーターもフォトショップも、El Capitan上でエラーなく動くようになった。これが本当に「完全に動いている」と言えるのかどうかはわからないけれど。

ちなみに参考にしたのはこのサイト。

http://doratex.hatenablog.jp/entry/20160921/1474401468

それとsafariやchromeのバージョンも新しくなったので、これまで読み込みでエラーが出ていたサイトでそれがなくなった。

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夜中に調理する

投稿日: コメントするカテゴリー: フォト親の療養生活

父の喪も明けたので本当に久しぶりに一眼レフカメラを起動して近場に出てみたものの、何も心に響かないのです。以前なら、「これは是非撮っておきたい」というものがあったのに、何を見ても気持ちを動かされることがない。

父親に関わることはまだ終わってはいないし、今度は母親の体のことが心配にもなってきます。インスリンを打っているので低血糖になりやすく、三度の食事をきちんと摂らないといけないのですが、ヘルパーさんが来られない日は本人のメニューが難しく、料理のレパートリーのほぼない自分には困ったことになってしまいます。

明日はヘルパーさんが来られないので、夜も遅くなってから空いているスーパーへ行ってともかくも明日の昼と夜の母親用の食材を買いました。今の夜中の間に作っておこうと思っています。

もうがんばらなくていい

投稿日: 2件のコメントカテゴリー: 未分類

台風前の夕空

不思議と強いかなしさは来ない。おだやかななつかしさも来ない。そして緊張感は残っている。行けばまだ病室のベッドの上にいるような気がする。ときどき「この暑い夏を、父親は無事今年も過ごして行けるだろうか」と考えていたりする。次の瞬間に、「ああ、もうそれを考えることはなくなったんだ」と思い出す。

何も変わらない気がする。その瞬間から世界の見え方までもが変わるような予想をしていたけれど、何も変わらない。

もう何も食べれなくなり、楽しみも少なくなり、せん妄が少しでもやわらぐように現実感をもってもらいたいと思って畑の様子や犬の姿をスマホで撮っては見せたりしていた。わかる時には「ほぉー」とよくできた野菜の様子に感心をしていた。「お、かわいいな」と犬のことを話していた。

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苦しいときのビートルズ

投稿日: 4件のコメントカテゴリー: フラッシュバック的なこと・嫌だったこと仕事悲哀感抑うつ的気分経済

日差しのあじさい01

もうあじさいの時季だということも忘れていた。夏のような日差しを浴びてもしっかりと花を開いていた。

何十年も前の話、大学を半年休学して、それでもどの方向へ行くとも定まらずに結局元の学部学科に、今度は人より半年遅れて戻った頃、つらかった。興味のわかない勉強。やりたいと思っていた事ができなかった失望。やっぱり高校の時と同じように居場所は講義室と図書館だけになった。ひとりで行き帰りする校舎と駅との間。

その頃、たまたまビートルズの「Let It Be」の歌詞が耳に入って来て、その頃の心境と、「なすがままに、あるがままに」という言葉がなんだかぴったりとくるような気がして、歩きながら心の中で口ずさんでいる事がよくあった。

今また深い喪失感を味わっていて、これからしばらくのあいだ、いくつかのそれに見舞われることになり、その後も実際的な問題に直面しなければならないことを思うと、もう一度、あの何十年か前の若い頃の苦しかった自分が口ずさんでいた曲が思い出されてくる。

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