フォトフォントワードプレス仕事同居犬

犬と独り

ここ数ヶ月、かわいそうなのがうちの犬だ。以前は自分の運動がてら遠くの方までぐるっとまわってくることもあったのに、今はそんなこともなく、一番のお散歩相手だった父親もいない。今日、久しぶりに少し遠くの公園まで出かけたら喜んでものすごいスピードで走った。

誰もいない公園は草が伸び放題になっていて秋の虫が盛んに鳴いていた。「僕は独りだ」と、改めて思った。

今の時期「この光景を撮っておきたい」と思うことが少ないように感じる。それとも自分の景色を見る感覚がやはり鈍くなっているのかも知れない。カメラも、一眼レフを持ち出すことが少なくなった。お金があり、母親の健康と生活さえ気にする必要がなかったら、どこかにカメラを持って遠出をしてみたい。けれど今はそんなゆとりが、実際にも自分の心にも全くない。

カメラはスマホのものばかり。近くの景色ばかりを撮っている。この間ふと、重い一眼レフカメラではなくて小ぶりなミラーレス一眼に変えたら、カメラをもっと持ち出す気になるだろうか・・・と思ったことがあるけれども、僕は液晶よりはファインダーで対象を見るのが好みだし、問題は写真を撮ろうという意欲が湧いてこないということだからカメラの大きさは関係ないのではという結論になった。

依頼作業がなくなってからしばらくは父親のことでそれも忘れていたけれど、最近はまたパソコンを使っての作業を仕事としてやりたいなと思うようになった。第一、しばらく作業をしていないとソフトの使い方を忘れてしまう。これはパソコンで文章作成ばかりしていたら漢字を忘れてしまうのと同じような感じかも知れない。以前は自然と指が覚えていたことが、今は「あの操作はどのショートカットキーを使うんだったろう?」と思うことがある。実際にはもうパソコンを使うような仕事にはつけないのかも知れないけれど、やはり家でちょっと頼まれてやる程度の仕事があればなあと思うことが最近はよくある。これまで一二度、そんな機会もあったことはあったけれど、その時だけのことで終わってしまい、結局後にはつながらなかった。

無理にテンションを上げて、今やっておかないといけない家の片付け作業をしている。けれども、捨てるもの捨てないものの区別さえつかないことが多くて困ったりしている。母親は「売れるものは売って少しでもお金にして」というけれど、どれがお金になるのか、古物商に来てもらっても価値のあるものが何もないのなら、嫌がられるだけで終わりになるのなら、それはいやだ。ともかく明らかに要らないものはゴミ袋に入れて持って帰っては出すようにしている。

毎日のように父親と通っていたその家に久しぶりに犬を連れて行っても、もう主人のいることを期待して家に上がろうとしたり盛んに吠えたりしないようになっていた。しばらく作業をしていても玄関口に繋がれたままシュンとなっている。以前はそうしていると近所の中学や高校の生徒たちが帰りに近づいてきては犬をかわいがったものだけれど、今は入り口にも低い柵を立てて入れないようにしてあるので、かまってもらうこともない。犬も10歳になった。最初の頃に可愛がってくれた生徒なら、もう皆大人になっているはずだ。

「游ゴシック」という書体がウィンドウズにもマックにも入っていて、これはウィンドウズでもアンチエイリアスが効くし、すっきりとした形のいいゴシックなので使っている人も多く、このノートでも使ってみようとしたら、マックとウィンドウズでは表示に違いが出る。マックではやや太く感じるし、ウィンドウズでは細すぎる。調べてみるとマックではこのフォントの中間の太さの物と太いものとの二種類しか入っていないのに対して、ウィンドウズには細い書体も入っているのでそうなるのだとか。

それでウィンドウズ用に設定を中間の太さになるようにしてみたのだけれど、やっぱりまだマックでは太くウィンドウズでは細い。そしてどちらかと言えば自分にはウィンドウズでの表示の方が好みだ。

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