父の空間と自分のすべきことと

投稿日: カテゴリー: オーディオ・音楽人との関わり想い出気持ちの整理親の療養生活

もうコスモスの時期になっていたんだなあと改めて思う。父がなくなってから2ヶ月が経った。今年は夏を感じられることがほとんどなかった。病院への行き来は自分の仕事になっていたし、長い入院生活でせん妄もおこしていた父に対応したり案じたりすることでエネルギーをよく使った。おまけにその期間の途中で母親が足を骨折した。同じ病院に入院させて、そちらの様子も見ないといけなくなった。父親が一時期退院してきた時にはその生活の中で自力でできることは少なくなっていた。急つい、ヘルパーさんを頼み、食事や清拭のお手伝いをお願いし介護用ベッドやポータブルトイレを設置してその介助を何度もした。

父親が再び病院へ戻ってから、今度は母親の生活環境を整えることが必要になった。新たに手すりを付けたり、部屋のレイアウトを以前よりもすっきりとさせたりした。母親はなんとかまた歩けるようになったのでそれは良かったけれど、今度またこけたりしたら・・・というおそれが本人にも自分にも出てきて、以後の生活はより緊張を強いられることになった。母親もまた内科的な持病を抱えているので、事故だけでなくそちらにも気をかけないといけない。

父親は家を残した。それは自分の家ではなくて老後の自分の楽しみの場として、あるいは地元の観光の一助になればという思いを込めて作り上げてきた空間だった。この20年間、毎日そこへ出かけては地元の不要になった民具を集めたり、郷土史の研究をしたりしていた。庭づくりやお茶もたしなみ、面白い形の小さなお茶室を建てたりした。そのスタートの時期、心臓を患ったりしたので本当はこの歳になるまでそんな生活が続くとは、その頃はとても考えられなかった。けれどほぼ20年間、良い方向に想像が外れて父が自分のやりたいことをその場で過ごしながら続けられたことは幸せなことだったと思う。

今、父がいなくなってもあまり悲しい感情が伴ってこないのは、あの場で父が最後まで自分の好きなことをしたという記憶がまだ鮮明だからじゃないかと考えたりする。年老いてからそんな自由な空間を作るということには、その過程で様々な労苦もあっただろうと思うけれど、父はそういう面では強い人だった。けして人におもねることもなく、かといって我を通してその場を自分で独占するというわけでもなく、うまく人と折り合いながら不意に訪ねて来られる観光客にも丁寧に対応していた。

実際、その対応には気持ちが込もっていたのだと思う。そんな機会から新しく人とのつながりが生まれ、ここ数年、アジアが豊かになって観光客が増えてからはよその国に籍を置いて日本語を話せない人にもお茶を振舞ったり古民具を紹介したりしていた。中にはその対応に感謝してその時に撮った映像をDVDに焼いて写真や手紙ととともに送ってくれる方もあった。テレビ局も何社か来たりタレントさんがそれに同行してきたりもした。けれど父のそこでの生活の基本は変わることなく、庭木を育てたり(「花筏」という、葉っぱの真ん中に花と実をつける植物が特にお気に入りだった。)、民具を集めたり再生したり、現場も訪ねながら郷土史を調べたりする、地味な日常だった。

僕も時々そこを訪ねはしたけれど、父がそこで作り上げていたたくさんの人との関わりや、その活動の一端に触れるのみで、僕の中のそこでの父の活動の記憶はその全体の一部でしかない。自分一人の生活を成り立たせていくのに精一杯で、父とよく関わってその全仕事を把握するなんてことはとてもできたものではなかった。けれど、父のいる間に「父の仕事」として聞き書きなどしながら、いわば一人の人間の若い頃からの生活史的なものを作っておければ良かったと、理想としては思うことがある。特に父親は戦争も経験しているので、そのあたりからこれまでの生き方を一つの形にしておければ良かったなと。しかしそれも、これから残された資料を見たり人の話を聞いているうちにまだ全くできないわけでもないだろうという気もする。

僕には父の意思を引き継ぐことなどとてもできない。山野草一つも、それを引き取って大切に育てることさえ、その知識も根気もない。あれはあの場所で、父がやっていたからこそ出来ていたことじゃないかと思う。そして今実際に必要なことは、その父の想いの込もった場所を、かたちとしては再び20年近く前の状態にまで戻すことだ。幸いだったのは父が集めた古民具の多くを地元の観光のために役立ててもらえることになって引き取って頂いたこと。それらは機械的に言えば古物商を呼べば幾らかにはなったのかも知れないけれど、もともとは人様のものだし、父の生前の気持ちとしてはやがてそうして自分が引き取ったものは地元のために役立ってくれればいいという思いがあったはずなので、それがそうなりつつあるのは良かった。

 

全く話が変わるけれど、僕は車内で音楽を聴くことが多いのでデッキに以前から使っていた第5世代のiPodをつないでいた。それがこの春から不具合を起こしてついには起動しなくなった。何回か再起動を試してみたものの、ウィーンとしばらくディスクの回転音がしてアクセスはしようとしているのにヘッド部分に異常があるのかどうしても起動しない。それで仕方なしにSDカードに音楽を入れてデッキに挿して聴く方式に変えてみたけれど、どうもiPodを使っていた時の勝手の良さがない。特に曲のかかり始めの度にデッキにファイルを取り込む作業をするので、実際に曲が聴けるまでに相当の時間がかかってまどろっこしい。途中の曲の切り替えもちょっとした信号待ち程度ではできない。

CDで聴くという手ももちろんあるけれど、なぜか今使っている車載デッキではCDの音があんまり良く聴こえてこない。自分はそんなに耳が肥えている方ではないものの、やっぱりそれなりに満足できる音でないと気持ちが良くない。初代のiPodはなんとか動作していたけれどもう人に譲ってしまっている。そうしたら知人がずいぶん以前に購入したもののほとんど使っていないiPod miniを持っているのを思い出して貸してもらったところ、ずいぶん古い機種なのにあまり使われていないためか動作にも問題がなく電池も長く保つ。家に持ち込んでありきたりのインイヤーフォンで聞いても素晴らしい音がする。これは相当のお礼をしてぜひ譲ってもらおうかなと思っている。

iPodはアップルが途中から方針を変更してクリックホイール式の、画面の小さい代わりに容量の大きな機体から、iPhoneのような外観をしたタッチ式の機体に変更をした。こちらは記憶媒体にハードディスクよりも高価なフラッシュメモリーを使っているのであまり容量がない。なのでオークションなんかを見ていると、アップルが言うところのホイールの付いたiPod classicの容量の大きなものは今だに人気があるようだ。ただ僕の借りたiPod miniは4GBしか容量がないのだけれど、曲を絞って入れればそれでも自分には十分だし、とにかくiPodの使い勝手はいい。MacのiTunesがまた活かせるようになったのも気に入っている。

こうして、少しの「しあわせ」を見出しながら、今のしんどさに対していくしかないなと思う。当面、現実としては父の残した家を原状回復しないといけないから、自分の気持ちとからだの状態とに相談をしながら、父の供養だと思ってその作業にあたるつもりでいる。母は動けず、ここしばらくは慣れない親族との付き合いも、自分の人との関わりの力を精一杯使ったつもりでやってきた。それでもできないこともあった。これからやらなければならないこと、考えなければならないことがたくさんある。ひとまずは目の前の家の片付けの方をと思っている。

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