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自分を突き動かしていたもの

チューリップの群生01

 

春が近づいてくるにつれて、やたら疲れやすく、眠たく感じる時間が増えた。少し動いては横になり、ちょっと眠って次のことがようやくできるという感じ。強い悲哀感を感じることも増えて、しばらくパソコンに向かう気もしなかった。悲哀感は、特に寝起きの時にやってくることが多い。悲しい夢を見て起きてもその余韻が残っていたりする。時には涙が出てくることもある。どうにも起き上がる気になれない時には頓服としてもらっているデパスを飲む。自分としてはこの悲哀はどうも親の体調ともっとも関連しているような気がしている。寒さがましになってきて、そのことでの心配は減ったけれど、加齢に伴って言動がどうもぼんやりとすることのあるのが寂しい。仕方がないことだとは思うけれど。特に父親はこれまで人に頼られ交わることに生き甲斐を見いだしてきたので、そういう機会が少なくなると反動のようにぼんやりとすることが多くなった。かといってあんまり人に頼られて動き過ぎるのも本人にはしんどい。

母親は自分と似ている。ふだん、人と出会うのは緊張するのでなるべくひとりでほっとしていたいと思う。けれど人恋しいところもあって、いったん安心できる人と出会うと今度は安心しすぎて多弁になったりする。思いつくことを反射的に言葉に出していたりする。けれど後になってそれを思い返すと、本当に自分の気持ちに沿ったことを言っていたのかな?という疑問がわいてくる。何につけ、もうあんまり自分は前にでないようにしようと思う。

チューリップの群生02

悲しい夢の内容は、大学に行ったのにすぐに人との関係がしんどくなって結局卒業できなかったこと。勉強している内容に興味がもてなかったのに無理に続けていたことなんかが、今の状況とうまく混ぜ合わされていることが多い。この間診察室で先生にそんな「夢の後の悲哀感」の話をしたら、「あなたは勉強がきらいというわけじゃないんですよね?」と言われて、大学の時に自分の学科と直接関係がない「ラテンアメリカ史」の講義にとても興味をもってその教授のいる学科に変わりたかったのだけれどそれが果たせなかったという話をした。

先生がその話に興味をもたれたかどうかはわからないまま、続けて、若かった自分は、父親が関心をもっていた日本の考古学には興味がなく、大学に入ってから世界の近現代史に惹かれて行ったという話を知らない間にしていた。「当時パレスチナでは虐殺があった。特にイスラエルを支持していたアメリカ軍の軍艦がゴラン高原に砲弾を発射して民衆に被害を与えていたのだけれど、その軍艦の基地は日本にあって、日本は事実上、中東の反イスラエル(とアメリカとイスラエルが思っていた)派の民衆を虐げるための兵站になっていた。そうすると日米安保条約を結んでそれを支持している日本人にもその攻撃の責任があるなあと、自分は思っていた」というようなことを、べらべらと勝手に話した。

その様子を見ておられた先生が、「あなたが元気に話す様子を久しぶりに見た」と言われたので、そこで我に返ったのだった。

チューリップの群生03

けれど自分は、大学のあいだからのひきこもり期間を経て自分のこころと行動の不具合の様子をみながら世間に出て行くことで頭がいっぱいになって、出て行けばそのことでいろいろと悩んだりもして、やがて興味をもてていた近現代史やら社会やら政治やらについて思うゆとりをなくしていった。外に出ると人との関係やら仕事をこなすことの難しさなんかに心をとらわれて、本も読む気持ちが失せてしまった。

けれどもこれは自分だけの話なんだろうか。ニュースなんかを見ていても、エセ?右派とエセ右派との薄っぺらい内紛である「森友学園問題」なんかでもちきりになっているけれど、僕は南スーダンでどうして内紛が起こっているのかを知らない。IS(イスラム国)の拠点であるモスルを奪還するのに何人の無実の人が巻き添えになったかを知らない。シリアで大規模な内戦が起こっていてもアサド政権は平気で続いているし、戦火を逃れようと難民が大量にヨーロッパを目指しては途中で死んでしまったり、ヨーロッパで巻き起こっている極右の伸長にそれがつながったりしているのはなんとなくわかるけれども、そんなニュースは全体としてあんまり伝えられることがなくなった。

若い時には目の前のひとつの花でさえ世界で起こるいろんな出来事とつながっていた。けれどこころや行動の不具合を経験する時間を長く過ごす間に、そんな感覚はすり減っていった。今は本当に毎日の目の前のことしか見る余裕をなくしている。

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