異音が気になる

投稿日: カテゴリー: フラッシュバック的なこと・嫌だったこと, 依頼作業, 悲哀感, 福祉制度, 親の療養生活, 親への支援

もうひとつの有償ボランティアの作業の結果も無事だった。仕上がりもいいという返事をもらえてひと安心する。毎日仕事に出ている人はいろんな心配が連続するんだから本当にたいへんだなと思う。今の自分にそんな状態が耐えられるとは思えない。
けれど、いずれにしても、高齢になっているのだとしても、これからも仕事は何かみつけないといけない。

平日は外に出づらい。車のダッシュボードあたりから聞こえてくる、何かのボルトが緩んでいるような音がずっとずっと!気になっていたので、土曜日にオーディオまわりのパネルを外して怪しいと思うところを見てみたけれど、確実にここという部分が見当たらない。鳴り出すとかなりにぎやかなので、てっきりどこかのボルトが緩んで遊んでしまっているんだと思っていたけれど、そういう部分がない。

日曜日に、歩道を通る人から「何をしているんだ・・」と怪しまれる視線が避けられるよう車の向きを変えてもう一度パネルを外して爪で固定してあるところにビニールテープを追加で挟んでみたり、コード類を束ね直してみたり。結局パネルの浮きを大きくしてチリを目立たせただけで終わってしまう。
でもこの二回目のチェックの時にひとつ「これかな」と思ったところがあって、それは送風口を固定している爪が外れていたこと。その時たまたまそうなったのかも知れないけれど、確かにここが常時外れていたらカチャカチャ音がしてもおかしくないので、ここならいいのにと思いながら取り付けをしてパネルを閉めた。

と、それだけのことでがっくりと疲れた。父親が人形供養の後片付けに寺に行けないかと言ってきたけれど、夕方近くで寒くもあったし、本当は自分がもう面倒くさかったので「今からはやめておこう」と言った。そのかわり夜の分の買い物に出かけた。

なんにも役に立っていない割には文句だけはわいてくる。親の通院付き添いに、たまに誰か他の人に行ってもらえないだろうか、とか。
ちょっとした言葉なんかがその後ずっと頭に残ってしばらく(数日)しんどくなったりする。親は病院では特にぼうっとするので認知症じゃないかと心配になったりする。自分が望んでやることと病院へ行くような、望まない場面とで親の状態がずいぶんと違う。あまりにも心配になって、「少しぼうっとする時があるのですが」と先生に話してみると「神経内科になりますね」と言われる。今、そこまでまた範囲を広げる必要があるのかどうか、自分では判断がつきづらい。一度行ってみたらいいのにと、こんな時、人には言われるのだろうけど。

今朝は前の職場でつらくあたられた気がした記憶が起き抜けに蘇ってきて、悲しくて涙が出てくるので頓服を飲んだ。その後も一日悲しかった。しばらくの間、子供の頃から感じてきた強い悲哀感にやられることが少なくなっていたような気がしていたのに、最近またそれを強く感じることが多い。頓服をもらっておいてよかったと思う。

介護保険のくせに、どうして具体的な身体の不具合でしか介護度の尺度を見ないのだろう。高い保険料を払っていても、父親が実際にその恩恵の一部にあずかれるようになったのはごく最近になってからだった。それまでさんざん内部的疾患で家族には心労も積もったのに。

内部的疾患が身体的不具合を引き起こす場合も多いんじゃないのだろうか。保健師さんは「からだに不具合が出てきてからね」と軽く言われるけれど、そこまで至るのにさんざん心配をして家族が病院を行き来してつらい思いをする、その気持ちをわかってもらえているんだろうか。介護度とかなんとかが決まって、「サービス」を使う段になって初めて、来てもらわなくてもいいのに家にまで来られて「会議」を開かれるけれど、ああいう形だけのこと、やめてほしいと思う。どのみち、その後の決められた家庭訪問なんかははしょられることが多いのに。

明日はまた病院に行く。

 

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