SurfaceProに目移りする

投稿日: カテゴリー: Windows体調依頼作業家事時間の使い方環境社会への不満・望み経済

寒くなってくると(暑くなってきても同じなのだけれど。)からだの調子が落ちる。明るい時間も短くなって、何かしら作業をしようと思ってもそれができる時間も短くなってしまっている。起きるのが遅いから余計に。そういう時には一日の間に「何かひとつ」できたらいいんじゃないか、と自分に言い聞かせている。

昨日はだいぶ前から気になっていた家の裏の整理をした。溜まった落ち葉をゴミ袋に集めたり、部屋の壁や天井直しをして出た木材を細かくしたものもまた袋に入れ、捨てられるようにした。まだその作業は終わっていないけれども、もう少しがんばればすべてゴミとして捨てられるというあたりまでは来た。父親のセニアカーを入れておくためのテントの一部が裂けてしまってあまり人に見せられないようになっていたので、家裏の整理した部分へそれを移動した。しばらくトイレ掃除ができていなかったので床に掃除機をかけてから中性洗剤を使って便器や床を拭いた。そのあと水拭き。

今日はほんとうは昨日の続きで家裏の整理をするか、二階の北側の壁(一方の部屋の方には断熱材を入れた。)に石膏ボードを貼る段取りをしたかったのだけれど、午後早くから母親の歯医者の予約があったことをスマホのリマインダーのお知らせ音で気づいて、その付き添いと夜ごはんの用意のための買い物に出た。またおでんを作ることにして材料を買い、帰ってからゆで卵と鳥のもも肉を加えて熱くして出したら、冷たいものがだめで熱いものを好む父親がよく食べてくれた。食べるとすぐ眠くなってしまって片付けはどうしてもちょっと?休んでからになる。ヘルパーさんが来られたときに台所に食べたままの食器や鍋がそのままだとかっこわるいと思って、いつも遅い時間に洗い物をしている。

今日はマックをさわっていてひとつ発見をした。春と夏にやっている作業でどうしても一太郎文書を扱う必要があるのだけれど、一太郎(およびビューワー)はMacOSでは動かないのでVirtualBoxで仮想化したWindowsで一太郎文書を開いてテキストをコピペしてマックに持ってくるということをしている。もちろんそれで問題はないのだけれど、「夢」としてはWindowsにディスクを圧迫されることなく、MacOS内だけで原稿の処理もしてしまいたい。それが可能かもしれない、いや、可能だろうということがわかったこと。そのためにはこのページで配布されている「Wine.app」というアプリをインストールする。すると一太郎文書を開いてテキストを拾える一太郎ビューワーをMacOS上で起動することができた。

これまで一太郎文書をMacで開くなんて絶対無理!と思っていたものだからこれには感動した。一太郎は一つのファイル内にタブで複数の文書を収めることが出来るので原稿はその形になっていることが多いのだけれど、タブもちゃんと機能するし、フォントもあらかじめwine側に用意されているものがあるためか、きちんと打たれたままに再現されている。ワードやエクセルファイルはiWorkをインストールしておけばそのままの形とまではいかないまでもPagesとNumbersで開くことはできるので、データのその場での確認やテキストを拾うぐらいの用途なら、これでWindowsを仮想化して・・・ということは要らなくなる。このことはディスク容量の少ないノートブックではとても効果的だ。完璧を期すならMac版のオフィスを買い足せばかなり具合がよくなる。

そのノートブック。液晶の不具合が出ていてそのままでは作業に支障があるので新しい中古!?を物色してみようと、この間久しぶりに街のパソコンショップに行ってみたのだけれど、年式の割には程度がよくてお値段もお手頃・・・というものにはやっぱり出会わない。歳末セールで全品10%オフになっているのはいいけれど、液晶にムラや黄ばみがある、とか、電池がかなり消耗しているとかいう表示のあるものが多い。そして程度がまあまあのものは今の自分の手に届かない。来年には車検もあるし、春の仕事の報酬はそれに充てたい。水光熱費の負担がかかってこなければまあまあのノートブックも手に入れることは可能だけれど、冬は、特に胸の状態のよくない両親にとってはエアコンと電気ストーブでしか暖がとれなくてほぼ一日中それを稼働している限りは電気代がばかにならない。と、だんだん話がせこくなってくる。

障害者も、家庭に経済や人的余力があったり、自身に秀でた能力があれば福祉の世界でもその外側の世界でも認められ、誉め称えられ、順当な人生が歩める可能性が開かれるようになってきたけれども、家に金があるわけでもなく、自分自身に特に秀でたところもなく、一般的な能力にも劣り、歳もくっているとなると、ともかく死ぬまでをなんとか生きる方策を探ることと親の高齢化に伴う雑事にばかり迫られるようになる。ボランティアでもとやってみたところで、これまでその先に自分にとってもいいことが待っていた試しはなかったし、今後もきっとそうだろう。生まれと育ちの過程でどれほどの支援があるかないかで、だいたい生き方なんて決まってしまう。

たとえばの話、東大だ京大だ、博士だなんだといったところで、その出自を見れば別にそれほど驚くほどのこともないと思っている。偏差値はだいたい家庭の経済的能力に比例している。なので経済的格差を始めとした格差の次世代への継承という、「格下」の人間にとってみれば深刻な問題も顕在化している。「下」の人間は一般でも福祉の世界でも、あらっぽく言えば「使い捨て」みたいな存在になっている。もっとも最近は「上」の存在であっても安心はできない。小さな頃から挫折を知らずにやってきて、大きな企業に入って使い殺されてしまうまでがんばってしまう人もいる。問題は挫折を知らずに生きてきてしまった「上」の方にいる人間で、こいつらは本当に困ったもんだなと思う。

ノートブックの話だった。これはやっぱり、今後も依頼をいただけるとなれば必要なのでいずれ手に入れないといけない。困ったことに、この間珍しくパソコンショップへ行った際にMacBook Airより気にかかったのはMicrosoftのSurfaceシリーズだった。WindowsRTを入れたSurfaceRTが安くて程度もよかったので特に興味を引いたのだけれど、店員さんに詳しい仕様を聞いてみたらWindowsのこのバージョンは外部のEXEファイルを実行することが出来ず、最初から入っているOfficeRTと、Windowsストアからダウンロードしたアプリしか動かせないのだと。それだとワードやエクセルは問題ないとしてもさっき書いた一太郎ファイルなど、単にファイルを開いて見ることさえできない。逆に考えればネットからダウンロードしたウィルスを含んだようなプログラムやメールに添付された悪意のあるファイルも開かれないということになって、それはそれで使い方によってはいいのかも知れないけれど、今その機体を自分が余計なお金を出して買うのももったいなかった。

SurfaceProシリーズは素晴らしかった。外見もクールだし、タブレットとしてもノートブックとしても、ドックを使えばデスクトップとしても使うことができ、こちらは普通のWindows機とまったく変わらず、どのEXEファイルも実行可能。手持ちのAdobeのソフトさえWindowsに対応していたなら、いっそのことこちらに乗り換えたいような衝動に駆られた。ずっと以前から、「Microsoftはどうして自前のWindows機を作らないんだろう」と思っていたけれど、ここ数年でようやくそれが実現した感じがある。

もうこうなったらやけでSurfacePro買っちゃおうかな。となるとMacBookAirはどうやって手に入れたらいいのだろう。原資がないのに優れた物だけ目の前に見せられると、それが欲しいと思うほどにつらいものがある。

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