比べてしまう自分

投稿日: カテゴリー: MacBook Airフラッシュバック的なこと・嫌だったこと人との関わり抑うつ的気分親の療養生活

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これはいつ、どこで撮ったものだろう。ファイル名を見てみたら、今年の始め頃人に譲渡したコンパクトカメラの名前が付いているのでおととしくらいにそれで撮ったものだろうと思う。写真の秋なのに写真が撮れないことでなぜか焦っている。くらだらない。いつでもまた撮れるだろうに。

この間テレビで偶然、自分が除籍処分になった大学で同期だった人がNHKに出ているのを見た。学者として解説をしている場面で、思うよりも若々しくはつらつと言葉を出していた。彼がその大学の学長になっているのを知ってはいたけれど、「生」(厳密にはそうではないけれど。)で見るのはそれが本当に久しぶりだった。そのまま見ていたら僕は彼と自分の今の姿とを引き比べてまた落ち込んでしまいそうだったので、すぐにチャンネルを変えた。

「人と比べるのではなくて、比べるんだったら過去の自分と比べたらどうでしょう」と以前の主治医に言われたことがあったけれど、コミュニケーション不全のままでたいした出来事もなくこの歳まで来た自分、白髪が目立ち、肌つやもよくなく、ぶよぶよのからだになってしまった自分を見ると、むしろ過去の自分の方がまだマシだったのではないかと思うことがよくある。つまり自分に限っては、なんにつけ比べるということはしない方がいいのだろう。

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それにしても、前を向いて生きていくこともなかなかしづらい。しづらいのでふとした時間に、ふとした機会に、若い頃のことを思い出すことが多い。そして今、最初に書いた彼が生き生きと大学生活を送っていた頃、僕は周囲の人との関わりに疲れ、自分のやりたくないことを無理にやりながらとうとう学籍を外されることになったわけだけれど、あの時大学から「このまま授業料を納めないのなら除籍になりますが、いいですか?」という電話を受けて、それに「はい、そうして下さい」と答えていた自分のことも何度も思い出す。

ただ、今考えてみると、「それは甘い考えだ」と言われることを覚悟しつつも、相当の授業料をとっておいて、あと数単位で卒業できるという状況を大学側も知りながら、よくああいう大事なことを電話一本で伝えてこれたなあと思ったりする。大学生だから立派な大人ではあるけれども社会的には未熟な点もあるわけなので、どうしてそういうことになったのか、その経緯くらいは把握して、必要であればもう一度相談し合う場を設定してもらってもよかったのではないかと思う。たぶん、今の大学であればそのくらいはどこでもするんじゃないかな。若い世代の数も減っていることだし。学校としては壁につきあたってもなんとかそれを共同でクリアして学費を払い続けて卒業してもらう方が結局は得だっただろうにと思う。

あるいはそういう提案もあったのかも知れない。そして僕がそれを受け入れるこころの余裕がなく、蹴ったのかも知れない。その後その大学が学生の心理面でのサポートを熱心にしている様子をサイトで見たりするにつけ、あの頃もせめて心理面での相談を受け付けてもらえる、あるいは結び付けてもらえる体制があったなら、僕も大学の卒業まではなんとか行きつけたかも知れない。とても未練がましい話だけれど、この、大学を卒業できなかったという事実は、その後もずっと自分の中で劣等感になって潜み続けている。アメリカで大学を出るということと、日本のそれとはまるで次元が違うことのようだけれども、それでもやっぱり形というものも大切で、やっぱり僕は卒業くらいはしたかった。そのことが今までこんなにも引きずるのなら。

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最近考えるのは、ともかく親をさいごまで見届けることはやろうということで、その後はできたらお金を残せるかたちでなんとか早めに自分はいなくなる方がいいということ。どのみちコミュニケーション不全は一生治らないのだから、あんまり長く生きていても自分も周りもたいしておもしろいこともないだろう。それでどういう方法があるだろうかと思うことが逆に気を紛らわせることにもなっている。

あるいはその逆で、どうにも疲れてきた時にはなんとか入院生活が送れないだろうかということも考えたりする。親がいる間は親不孝な話になってしまうだろうけれど、ともかくなんとか生活をしていかなければ、人と最低限関わっていかなければ・・・などという脅迫的な思いから保護された環境に身を置かせてもらえないだろうかという思いも浮かんでくることがある。それは最終的な解決にはならないわけだけれど。

母親にヘルパーさんをつけてもらって食事をつくってもらっている。結構な量を作ってもらえるので、時々父親もおなじものを夕食としてとっていることがあるけれども、父親は魚料理などは今はあまり受け付けないらしく、体重は減っているのにおかずにはしをつけないことが多くなっている気がして気になっている。今日はヘルパーさんが来られない日だったのでスーパーに出かけたらたまたまおでんの種がたくさん入ったものが山積みになっていたので、それと鶏のもも肉とを買って家で適当にだしを作り煮たら、父親はいつもよりは多めに食べていた。やっぱり魚がいやなのかなと思う。

Macbook Airの先行きにも悩んでいる。前に液晶画面にドット抜けが発生して一本目立つラインが出来たので修理に出すことに決めたと書いたものの、見積もりを見て納得いかない金額だったので修理は保留してもらった。幸いなのはラインが画面のかなり上辺にあることで、その位置だと作業するのにものすごく邪魔ということはない。なので保留にしたものの、その値段で修理できるのは年内いっぱいだというし、残価で引き取れるのも同期間内だと言われて、もう修理はあきらめてこのまま使いつぶすのか、くやしいけれどやっぱり修理に出すのかで迷っている。ただ年末は車の保険代も必要だし、いろいろとものいりになるのでお金を出す方向ではない方へと気持ちは傾いていく。

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