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行き詰まって行く生活

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そういえば自転車(もっていないけど。)を使えば、あるいは車を使えばもっと近くに一応この街にも自然公園的な場所はあったのだと、過去に撮った写真を見ながら想いだしていた。すごくこころにのしかかっている親の健康状態が遠くへ出かけることに呵責を覚えさせるのなら、そういう場所で写真を撮ってきてもいいなと。もっとも自分が家にいないことに変わりはないのだけれど、すぐに駆けつけられるという点が異なる。前の時にはほんとうにたまの遠出をしていた時で焦ったから。

ゆうべ、父親の服の整理のことを考えていることをここに書いたら、偶然今日、父親が「服を買いに行きたい」と言い出した。これはちょうどいい機会だと思ったので、整理ダンスにため込まれていて表面にあるものしか役に立っていない下着類をまず整理しようと提案し、やってみるとほとんどが夏物やこれまで入院中に必要なものとして買ったおいた、やはり薄手のものだった。少ない冬物を取り出して別のボックスに入れなおし、とりあえず今日のところはまずは父親の言う通り厚手の上着かあたたかいズボンを買いに行くことにした。それで結局ズボンを二本買った。上着は、もう少ししたら出回るだろう長めのダウンを買おうと思う。でないとシニアカーで冷たい空気の中を移動するのはつらいことになるだろうから。手袋もマフラーもいる。

父親は外に出て人と関わっていないとだめになってしまう人だ。それはそれで別にわるいことではないと思うのだけれど、からだが弱ってくる過程でこれからの寒い時期をそれ以外の季節と同じように出て行くというのは無理があると思う。正直、こまっている。僕の生活リズムが父親にぴたっと合っていれば車で送り迎えをしたりもできるけれど、あちらは筋金入りの健康的な生活リズムなので一時的には無理矢理それに合わせられても長続きはしないだろう。親子がずっといっしょに行動しているというのも、あちらにとっても嫌なものだろう。寒い間は家で過ごせといっても無理だろうし、本当に困っている。本当に寒い日には、なるべく家で過ごせるような工夫を父親がみつけてくれたらいいのにと思ったりする。

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液晶に横線が入ってしまっているMacBook Airは、早めに修理に出すことにした。放っておくとあるとき突然映らなくなるということも考えられるし(その時にはミニディスプレイポートで外付けディスプレイに映し出すことも可能だけれど。)、修理する以外に妙案も特に思いつかないので、それなら早めに、保証期間が切れない間にさっさと直して次の作業にも備えておく方が得策だと思った。アドビのソフトもOS10.6に最適化されたものだし、無理をして本体を新しくしたら今度はソフトウェアの適合性に問題も出てくる。

もうとっくに、アップルの製品には手が出せなくなってしまった。iPhoneは7になってカメラも2つ搭載され(インカメラを含めれば3つ)、本当に洗練されたスマートフォンになったけれど、これに手を出して月に一万円近くもキャリアに払う余裕なんてない。幸い、最近ではアンドロイドOSを搭載してキャリアに縛られない機体が増えてきたので、安いものなら1万円台でも本体が手に入りこれに格安simを組み合わせれば、通話をのぞけば月々1000円台でスマホを持つことも可能になったのはありがたい。僕の今持っているhonor6Plusはそんなsimフリー機のひとつで、iPhoneが今度の世代で採用したカメラ二台搭載も既に実現しているし、機能的にiPhoneにめちゃくちゃ劣るということもない。というか、インターフェースがiPhoneにとても似ている。けれども僕はなんでもデフォルト、純正が好きなので、せっかくアンドロイド携帯なのだからと、ランチャーはあえてアンドロイド向けのそれに変えている。

Mac本体は、おそらくもう更新することはないだろう。今つかっている2009年製のMac Proも、故障するとしたら電源かハードディスクあたりだと思うので、これもメーカーに在庫がある限り、あるいは、オークションやネット上で扱いのある限りはそれらを流用して使い続けたいと思っている。実際、一度電源が壊れたことはあって、その時には幸いアップルが公式に修理専門のお店として認めているところで電源交換をしてもらった。交換は自分でもできるので、パーツさえあればなんとか使い続けていけるのではと思っている。

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自分に合わない仕事を辞めたことについては全く後悔していないのだけど、経済に困窮してくるのには困ってしまう。本当に、途方に暮れてしまう。これまで正規の職員として働いた経験はほとんどないのだけれど、精神科に通うようになってからも、あるいはそれ以前のメンタル的にとても苦しかった時期でも、アルバイトやパートには出ていた。それぞれの間に少し家にこもる期間は出来ても、また次の場へと出て行くことはしていた。ところがこの年になってできるのは家でのほんの少しの作業くらいになってしまった。そうこうしている間に親は高齢になり、自分が親のことを考えずに自身のことに専念できる時間は少なくなって、今はどうにも追いつめられたような気分でいる。

犯罪を犯して刑務所で罪を更正している人たちだって生活に苦労はないのに、普通に(とは言えないかも知れないけれど。あるいは、罪を犯さずに)生きていても根本の障害と二次的障害とが重なって仕事ができなければ生活がしんどくなるという現象は、「当然」といえばそうだけれど、ちょっと矛盾した現象だなあと皮肉を込めて思う。このまま家や土地を売って預貯金も(その時もし残っていたら)使い果たしてしまい、生活保護に頼るしか方法はないんだろうか。その生活保護でさえ、今は制度として切り詰められる方向に行っていると聞くけれども。
こんな文章を、ざまあみろと思って読む人もいるのかも知れないけれども。

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