「いやな気分よ、さようなら」

投稿日: カテゴリー: MacBook Air, 抑うつ的気分, 気持ちの整理, 特性への工夫, 自己評価, 親の療養生活

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人のことはあまり言えないけれど、両親は服装の管理がへただ。あまり新しい買い物はしないのになぜかタンスには大量の下着が詰まっていて、服もあることはあるようだけれども外から帰って一定の場所に吊るすなりするのを見たことがない。バーイッと放ってあることが多い。母親は「冬も着ることがある」とか言って、夏物もそのまま吊るしておいたりするから、こちらも衣替えという言葉とは関係がない父親と同様に、吊るしてある要らない服が場所をとっている。これから冬にかけて下着も上着も一番必要な時期だし、特に父親は外に出たがるから暖かいものをたくさん用意しておく必要もある。なので一度、父親のものを中心に下着と服の整理をしておこうかと思いついた。

母親のものは、せっかくヘルパーさんが「整理のお手伝いもしますよ」と言って下さっているのに人に整理されるのは嫌だという。なんでだろうか。自分で管理ができず、それでいてデイサービスに出て行く日の朝など慌てて服を探すような状況なのに、絶対に人に自分のものを触らせない。まるで、どこからどう見てもゴミ屋敷なのに頑にその整理を拒否する人みたいに。若い頃の母親はともかく、自分が長く知る母親は年齢の進行とは別次元で物の整理をするのがとても苦手そうに思える。そこらあたり、ADHDの人が「汚部屋」を作り出す様子と似ている(すべての人がそうだとは限らないのだろうけれど。)。
何も母親のわるぐちを書きたいわけではないけれども、あの人ももしかすると発達障害的な特性を持っているのかも知れない。話しだすとよく「マシンガントーク」になるし、人が気にしないところに異様に執着したりする。ただ自分と「違うな」と思うのは、母親は近所や親族とはそれなりにつきあえる。今はそういう機会が少ないというだけで。

人とのつきあいでは母親にもやはりそれなりに不満な点はあるらしい。けれども僕のように自己肯定感が低くなったりする様子は少ない。むしろ「相手がわるい」ということが先に立つ。それは僕にはうらやましい。僕は、相手が不快そうだと思うと自分の悪いところを探すのが小さな頃からの常だった。そして一生懸命相手の機嫌を取るようにした。けれどもそれはあまり成功してはこなかった。自己否定感は成長するにつれて大きくなった。ただ発達障害の診断を受けてからはよけいに、人から予期しないわるい仕打ちを受けた場合にはそれを自分ばかりが引き受けなくてもいいのだという心の仕組みみたいなものには気づくようになった気がする。ただ、これがわるい方向に働くと単に人に「恨み」を持っているだけだと受け取られかねないので、そこらあたり、もう少しうまく相手か第三者に伝える術を身につける必要があるなとは思う。

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急に話が変わるようだけれども、認知療法は、要するにあまりにも根拠の薄いところで自己肯定感を落としている自分の気持ちを整理して、「自分は悪くない。あるいは悪いところもあったけれどもそれは今の自分には様々な条件により不可避だったのだ。あるいはまた、言わせてもらえるなら周りにも修正すべき点があったんじゃないか」というあたりまで気持ちを上げるような作業にも思える。
僕は、初めて精神科の診断を受けてしばらくしてから、自分でこの療法の本を見つけて(「いやな気分よ、さようなら」:自分が読んだのは改訂以前の古い版のもの。今はコンパクト版もあるみたい。)、勝手にその中の一部を「実践」していた。ある時先生に「気分がわるい時にはノートを広げてその気持ちを書き出して、それで反対側のページに常識的、肯定的要素を書き出すことをしています。そしたらちょっと気分がよくなることがあるんです」と話したら「ほお」っと、静かに感心されたのを覚えている。そして「それはぜひ続けるように」とも言われた。

ノートを広げる。左側のページに自分の嫌だと思った体験をそのまま書く。箇条書きのようにして。次に右側のページに、それが本当に自分にばかり責任のあったことなんだろうか、責められることばかりなのだろうか、もっと他の妥当だと思える考え方はできないだろうか?と考えて、それを思いつく限り書く。それだけのことだけれど、当時は、そしてある程度までは今でも、この作業は自己否定感に悩まされる自分を少し楽にしてくれる。このときに肝心なのは本物のノートとペンを用意して書くということで、心の中でこれをやろうとしてもなかなかもやもやはとれてくれない。今はパソコンがあるのでエディターやワープロソフトでそうしたことも可能かも知れない。(左半分に自分が嫌だと思っているその気持ちをありのまま書き(打ち)出す。右半分にそれに相応する形で、第三者から見たがごとくに合理的要素を書き(打ち)出して行く。

ただ、こういう作業はなかなか手間のかかることで、人により向き不向きもあるだろうなあとは思う。ましてうつの重い状態にある時には「本に書かれているように」なんてことは必ず無理だろう。そういう時にはお医者さんと薬と静養に頼るしかない。でも寛解してきたら、この手間のかかる方法も効果のある人は逆に必ずいるだろう。

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夕方、なにげなくMacBook Airを開いたら液晶の上の方に横一線で黒い筋が入っていた。「これはやられたかなあ」と思ってスクリーンショットを撮ってみたらそちらは正常なデスクトップ画像だったので、故障したのはグラフィックチップではなくて液晶の方みたい。一応、依頼作業にも使うので中古で買った時から月々少しばかりの掛け金を払って修理保証期間内にはなっているのだけれど、修理となると三割は負担しないといけない決まりになっている。ググってみるとAirの液晶交換はアップルに頼むとだいたい5、6万円かかるらしいので、三割だとしても今の自分には結構な負担になる。それでも街の修理業者に出すよりまだ安いはずなので保証で直すしかないのだろうけど、もう少し様子をみるかさっさと修理に出してしまうか迷う。いずれにしても一度見積もりを出してもらう必要があるだろう。

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