フォト家の改装家事想い出環境親への支援

いつまたダメになるかわからないが少しずつ回復

夏以来の疲れが少しずつマシになってきているような気もする。親が入院してからずっと、家事もやる気が失せてしまった。やりかけの部屋の修繕なんてどこの話やら・・・という感じだった。ひとまず親が退院してきてからの疲れの方が強かった。朝起きても眠気が強くてまた寝る。少しテレビを見ていたらまた眠気が強くなってきて寝る、それだからといって夜が眠れないかというとそういうこともなく、夜も眠る。次の日も同じパターンを繰り返すということがしばらく続いた。

買い物も食事の準備も難儀になったので母親の介護の分を使って食事作りにヘルパーさんにたくさん入ってもらうことにした。一ヶ月以上はそんな風に動けない日が続いて、今月に入ったあたりからちょっとずつまた自分が動ける分はやるという気持ちが戻ってきた気がする。昨日は長く埃だらけだった自室に掃除機をかけることができたし、今日は夕食用に買い物へ行って材料を買い、鍋を用意することもできた。ヘルパーさんがすぐに調理にかかれる様に、食器洗いだけはしばらく前から夜のうちに済ませている。壁紙を一部貼りかけた。角がベロンと剥がれてしまったままだけれど。ゴミをまとめた。

ずっと写していなかった写真も少しずつまた撮るようになった。それも本当に知らない間に。ただ、まだ重い一眼レフを持ち出す気にはならないのであくまでスマホでだけれど、それでも以前のように「全く写真どころではない」という感じでもなくなってきた。気持ちに入ってくる景色を見たら、それを撮りたいと思うようになってきた。
秋は空が素晴らしい。例えたら陳腐になるけれど、雲と光の具合によっては水彩画でも見ているような瞬間もあり、よく言う「美しい自然」を感じさせてくれる。空が美しいとそれを映す水面も美しいので二重に美しい風景が観れる。そこに緑や紅葉が加わってくると、これはもう一年の間でもいちばん写真の「撮り甲斐」を感じる時季になる。本当はどの季節だって心に入ってくる光景というものはあるのだけれど、気候的にも秋は快適でカメラを持ち出す人も増える。

遠くまで長時間出ることはできなくなっているけれど、高校の時にその周りを走らされた池辺りまで出かけることができた。もう何十年も前になるけれど、風景としてはあんまりあの頃と変わっていない気がする。寒い中、送迎バスから外に出されて外でパンツ姿になりながら着替えをさせられ池を2周する。持久力のない自分には辛かったけれど、助かるなあと当時思っていたのは学校という牢獄みたいな場所からしばし開放される点と、ただ単に整備されたグラウンドを走るのではなくて、走る間に次々と目に映る光景が変わっていくところだった。しんどくなると「もう少し、もう少し」と声に出して走った。

今でも池の周りを歩いていると一生懸命走っている人たちをよく見かける。自分も、こんな場所がすぐ近くにあるのなら毎日でも歩きに出かけられるのになと思う。だいたい日本の街は田舎に行くほど人間が過ごしやすい自然が少なくて、大きな街になるほど人工的な、人が入りやすい自然公園なんかがよく整備されている。そういうの、どうにかならないものかなあと思ったりする。

子供の頃はこの辺りも田んぼや畑という自然が広がっていて、用水路を上がってくる小魚を捕ったりもできた。用水路がコンクリートで固められるようになり、畑や田んぼが住宅地に変わっていくあたりから次第に窮屈な街になった。今では隣町まで住宅が連なって、昔その辺りでホタルを見た川も、川沿いに立っていた木は抜き取られて跡形もなく、コンクリート製の完全な用水路、排水路としてフェンスで囲まれてしまっている。

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