妄想の日々

投稿日: カテゴリー: サイト作成不器用・苦手家の改装時間の使い方気持ちの整理生活リズム親の療養生活

2016092201

ホームページ作成ソフトの優待販売メールがやたらと送られてくる。お金があればさくっとクリックして買うのだけれど、趣味で持つにしては今の自分には高過ぎる。なのでこれもiPhone7と同じく「指を加えて」誰かは買って使うんだろうなあと当たり前のことを思っている。

当事者会のビラは一度作ったけれどホームページもあった方が人は集まりやすいんだろうかと思うことがある。実際、たいていの発達障害当事者会はホームページをもっている。ただ、自分が参加している会はともかく継続することを第一としているから、あまりにも不特定多数を対象にした「宣伝」はやりづらい。もしそれをするなら、「この会に参加しても人と争ったり自分勝手な行動をしたりはしないなど、社会的常識が守れる方を対象とします。万一そのような行動があれば即退会してもらいます」ぐらいの注意書きが要るように思う。その他さまざまな決まり事なども入れて。堅苦しいようだけれど、発達障害者といったっていろんな人がいるから、会への参加のハードルは高めの方がいいように思う。

そしてこれは会の存在意義に関わる話になるけれども、自分が参加している会はそこを人が「踏み台」あるいは「通過点」にしていくのでもいいんじゃないかと思うことがある。ともかく会としていろいろな方向へ触手を伸ばし情報を集めておく(自分はそれができていないけれども。)。新しく参加してこられる方とそうした情報を共有する。どこでどんなイベントがあるとか、別の当事者会もあるとか、そういう情報。それを元にそれぞれの人が自分の行動を自由に決めて行く。そんな会。

思うことはいろいろとあるのだけれど、なかなか行動が伴わない。人との関わりに難があるし、これまで世間をいろいろと狭くもしてきているので動きづらくて始末が悪い。けれど生きている以上、せっかくこの特性を持って生まれてきたわけなので、それをいい方向で行かせる動きには参加していきたい。

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今日は落としたまま建物の裏に放っておいた古い天井板を、ゴミの日に捨てられるように細かくする作業をした。雨にぬれながら蚊に刺されながらになったけれど、大方ゴミ袋に入れられる程度の細かさにまでできたのでよかった。

台風の雨で、一応コーキングしておいたはずの北側の壁から水が漏れてきたので二階に上がって調べたら、サッシ周りから水が漏れて一階へと落ちていた。二階の外壁ははしごをつかっても高すぎて窓までも手が届かず、コーキング処理ができていない。再度二階のサッシ周りをよく観察して、できれば部屋の内側から(外へ転落しないように!)水の侵入を防ぐ処理を考えないといけない。

一階ではその他にも水が侵入しているところを見つけて、何度も天井裏に上がって濡れているところにタオルを置いたりした。普通の雨なら水は入ってこないけれども、台風のときのような尋常でない降り方の時にはやっぱり雨が入ってくる。がっかりする。がっかりするけれども、元々家を直すというようなことは自分の能力の範囲を越えていることなんだから、できなくても仕方がないんじゃないかと思おうとしている。

小さな頃から不器用で、小学校では習字や図画工作、音楽、家庭科の裁縫に参ったし、中学校では技術科や美術科でやるものづくりが皆と同じペースと完成度では到底できずに、困った。結局「やっつけ仕事」になってしまい、先生も「作品」を見て「これは何や?」とあきれられることが多かった。時々作るのを放棄してしまうこともあった。

だから、今家を触っていて、これは去年からやっているのにまだできないというのも、この自分にとったら当たり前のことなのだ。元々自分には無理なことをやっているのだ。

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それなのに父親はあらゆることに器用だ。どうしてその特徴を引き継ぐことができなかったのだろうかと恨めしく思うこともある。母親にしてもそんなに不器用という方ではない。元気な頃は小さなふくろうの人形をせっせと作っては売っていた。やはり僕の不器用さはこの家ではちょっと飛び抜けている。

父親が退院してからはいやな緊張感をもつことが多くなっている。いつまた同じ症状がでないとも限らないと思って。夕方から次の日の午前にかけてなら、薬がまだよく効いているだろうから、わるくなるようなら午後から次に薬を飲むまでの、当人が活動をしている間かなと思って、自分の生活時間もその頃にすぐに動けるように合わせている。・・・というとかっこいいけれど、要するに以前のように遅くまで起きていて昼近くまで寝るという感じになっている。

母親の生活リズムも自分と似ている。高齢なのにあんまりよくない習慣だとは思うけれども、高齢だからもうあまり制約をかけるのもかわいそうかなとも思ったりする。ただ、遅くまで寝て断続的に昼寝もするのに、デイサービスの前日のように「明日早く起きなければ」というような時に睡眠薬を処方以上の数まとめて飲むというような無茶をすることがある。

ゆうべも「寝られないから」と言って睡眠薬をまとめて5錠飲むつもりだというので、「寝れなかったらデイには行かなくてもいいから」と話してさすがにそれは止めた。ただでさえ持病を複数もっていて体も弱っているのに、そんなことをしたら結果が良くないのは目に見えている。この間、かかりつけ医に行く前に残薬のチェックをしたらだいたい飲んでいるので、「昼近くまで寝ている割にはどうして朝方の薬がこんなに飲めるんだろう?」と不思議に思ったのだけど、もしかすると自分でどこかに残薬を隠しているのかも知れない。特に眠れないことをよく気にするから、それに関わる薬はいつも多めに持っておきたいという思いを持っている節がある。

親が年齢を重ねるにつれていろいろと思い悩むことが多くなる。そばにいつでも相談ができる人はいない。自分の少ない行動力でお医者さんに様子を伝えたり、介護の方へ連絡をつけたりする程度のことしかできない。
最近はそんなことがとてもしんどいので自分の先生に「いろいろと答えの出ない妄想めいたことを思ってごまかしている」と話したら、先生はしばらぁく黙って考えてから、「今「妄想」と言われたけれども、それを続けてやってみて下さい」と言われる。それにどんな意味があるんだろうと思いながら。

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