支援されることを恥と思わされる社会

投稿日: カテゴリー: 不安と予測, 介護, 仕事, 生活, 社会, 社会への不満・望み, 福祉制度, 自分への支援, 親の療養生活

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こんなことを書くと「親不孝」になるんだけれど、仕事を辞めてこういう休み方・過ごし方をしたいわけじゃなかった。たくさんの時間を親の健康のことを心配しながら、次の通院日がいつかとか、お医者さんから伝えられる病状をやけに気に病んだり介護についてどうしていったらよいかなどということにエネルギーを使う「休み」は、本当の休みになっていないように思えて仕方がない。去年の夏あたりから考え方がとても刹那的、やけっぱち的になってしまい心に限界が来たようだった。そしてそれは今も進行している。あんまりだったので先生から新しい薬を処方してもらってしばらくヤケになりにくいよう、それが言動にでないよう気をつけていたし自分でも注意していたつもりが、昨日はちょっとしたこと(ケアマネさんに訪問してもらうこと)にいちいち引っかかる母親の様子に、つい「ちゃぶ台返し」をしそうになった。

普通の人でも親の健康や介護というものについては他になく敏感になり、時に疲れが来るようなことだと思うのに、なぜうちの親は僕が障害を持っていてこの種類のストレスにはとても脆いということをいつになっても理解してくれないんだろう。以前の仕事についた頃から父親が大きな症状で入院生活もするようになり、その度にその付き添いやらお医者さんの説明を聞いては手術だと言われるとドキドキし、毎日のように見舞いに行く。並行して母親の通院や入院にも付き添ってそちらも次第に症状が重い方へと進んでいくのを、しかも複数のそれについてお医者さんから聞きながらドキドキとし、家に帰ってきたとしてもほっとするよりは「今度はいつ何が起こるんだろう・・・」と思うことのほうが圧倒的に多くなった。楽観できる時間はとても少なくなった。

なので話を聞いてもらったり家の中の様子を伺ってもらうことは大切なことだと(掃除をしたり緊張したりするのが面倒だという気持ちは僕にもよくわかるものの。)考えているのに、僕だって別に人を喜んで家に招くような心持ちではないけれど、今の家の状態で介護関係の人や、ともかく悩み事を聞いてもらえる人を家に入れることは必要なことだし、決してマイナスになることでもないだろうと思うのに、母親はそれを嫌がる。父親もそんな時間は寝たふりをしたりする。要は「あまり世間の世話にはなりたくないし、そんな状況になっている自分たちを認めたくない」ということなんだろうとは思うものの、もうそういう頃合いになってきてしまったんだから仕方がないというのに。

そしてつい考えてしまうのは、両親は僕のことについてはどう考えてくれているんだろうということだ。きちんと「障害者」として脆い部分があることを認識してくれているんだろうかと思ってしまう。親のことについて自分が関与するほどに、それをごく当たり前のことのように受け止めて、僕がそれをするのにどれぐらいのエネルギーを使っているかということは見てくれてはいないように思えて仕方がない。

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もう家をとっくに出ている弟をあてにする気持ちは、かなり前から捨てているけれど、本当はもう少し関与してもらいたいと思ったりする。お金をもらうのはありがたいけれど、時には親の病状や気持ちを電話ででも聞いてやってくれないかなあと思ったりする。そしてこれは「もし」の話にはなるけれど、僕の障害の状態が、例えば親の入通院に付きそうこともできず、日々の買い物にも付き合うことができないような状態だったとしたらどうなるんだろう。今日も昨日の悪い余韻があって外に出れない日になったけれど、これがもしずっとずっと続く状態で僕があったとしたら、現に去年の夏頃から鬱の傾向は進んでいるわけだけれども、「実家に兄貴が遊んでいるんだから親のことを見るのは当たり前」ということになっているだろうか。

例えば僕の障害が車の運転に制限を課すようなものだったらどうだったろうか。親を病院へ連れて行ってくれるのはそのとき誰になるんだろうか。僕に知的障害があって自分についてももちろん、親について先生の話すことを理解できなかったとしたらどうなんだろうか。そういう場合は僕自身がより社会的ケアを受ける立場になるので、必然、親はより介護的分野でお世話になる場面が増したんじゃないだろうか。福祉タクシーを利用したり、場合によっては施設の世話になって通院付き添いをしてもらったりしているところじゃないだろうか。もしそれらが叶わないのなら、肉親である弟の出番はもっと増えたんじゃないだろうか。

これらのことは決して嫌味で言っているのではなくて、厚かましいのかも知れないけれども少し自分の障害について周りにより理解をしてもらいたいということを書いている。

では自分が「もっと自分の人生を生きたい」という本音でもってこの家を今出て行ける状態だろうか。実際に高齢の親と実家で生活していれば、そういうことが不可能なことがわかってくる。40くらいの頃、一度家を出ようと思って具体的にアパートを探したりしたことがある。その時でさえもう親の状態には不安定な部分があり、僕が家を出ることには反対だった。それは措くとしても、大げさに言えば「世間の目」はもっと懐疑的だった。「あなたが今家を出ても・・・「またすぐ帰ってきてくれ」ということになるんじゃないかなあ」と当時の雇用主には言われた。言われたから他での生活を諦めたわけでもない。経済的にも不利だということは、今もその当時もうちとしては考えないといけない状態だった。
ただ、発達障害者は精神保健福祉手帳を持つことになっているから(持つとすれば。)、将来的には精神のグループホームに行くという手もあるのかも知れない。けれどその頃にはもう親はいないという前提があるだろう。そしてお金が要ることには変わりないだろう。障害種別間のさまざまな事情ということもあるだろう。

成人発達障害当事者にとって生活に関わる福祉的資源が何にもないに等しいというのでは、それは社会福祉制度としてはどうなのだろう。今、制度的に身体のそれが大きく進行し、知的が続き、精神が出遅れたけれどもようやく障害者として認知されるのが当たり前になってきて、でも発達障害については東京タワーが青色になるだけというようなことでは、これは制度に期待しても現状では無理ということなので、リスクを冒してでも自分たちでなんとか道を切り開いていくしかないのだろう。リスクを冒す時には、確立された社会はそれを嫌うものだけれども、おそらく障害者運動が始まった時にはそれに対して理解を示す人は少数派だったのだと思う。

自分の人生と言えるために仕事に就こうと思っても、39までは面倒をみるけれどもそれ以上は諦めな、ということなら、いくらガソリンを燃やして相談機関に通っても意味がない。法律にだけガチガチに従って現状を変えようとしないのは、相談を受ける側が従来の社会の規範内でエスタブリッシュメントを目指してきた人だからだ。なので従来の規範内で困っている人には、例えば企業内で心身の調子を崩した人には「リワーク」という仕事を作ってその支援に熱心にあたる(それは法律上、その任にあたることになっている。)けれども、そこから外れた人間についての理解や支援は薄めになる。それも当然のことなんだろう。だから仕事に関しても、体制が相手にしないのなら例えば障害当事者自身がそれを作り出していくことも必要になっていくのだろう。現に今「公(エスタブリッシュメントの一つ)」が主催する障害者のための仕事の場はこの社会にいくつあるんだろう。たぶん大部分は法律の範囲外の存在としての無認可作業所から始まって、そこで家族を含めたボランティア活動から仕事が生み出され、やがてそれらが軌道に乗った段階でようやくエスタブリッシュメントが顔を出してくるという場合が大半だったに違いない。最近では法外施設はとっくに認められなくなり、NPO法人という形であくまで従来の社会規範の中にそれらを含めていこうという動きになっているようだ。僕はこの路線ではダメだと思う。本来の社会的包摂には遠いと思っている。

決してエスタブリッシュメントに利用されない形の社会参加のあり方を創っていくことが今後は必要になってくるのだろうと思う。

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