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自己肯定感の大切さ、環境の大切さ

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父親の今の安定はどこまで保つのかな。というのも朝晩のまだ冷たい空気の頃合いを除けば、当人が外に出てある程度動いたとしても、あの、胸に本当に冷たい空気を吸ってしまって息をゼイゼイ言わせるような状況ではなくなってきました。本人が外に出過ぎる時には、「遅くても4時頃には帰って横になりながら相撲でも見ていたら」と話します。母親は自分がうつしてしまったのか、やや風邪気味です。胸の増悪があることを考えるとこれは普通以上に良くない話です。

今月、本来はもっと落ち着いて過ごせる予定でした。両親の通院回数も数えたら少なかったし、この時間のある月を利用してやり過ごしてしまっていることをやってしまおうとも思っていました。ところが、1、2月には何とか保っていた父親の体調が落ちて入院の選択をし、その前後色々と自分にとっては疲れることが続きました。自分自身もだんだんと気持ちが荒れ、体のほうも何だか疲れるのが早いなと思っていたら久しぶりに風邪で寝込むことになり、おまけに腕に神経の障害も現れました。

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何とかそれらも回復に向かっているので、いろいろとモチベーションを削がれてはきたけれど、予定していたことはゆっくりとでもこなしていきたい。
下の部屋の壁の中の木部が腐って断熱材にも水が入りカビが発生して部屋の中が臭い状態になっていたのを去年の秋から壁を開けて、ともかくも原因になっている部分を取り除き、新しい断熱材を入れて石膏ボードで壁を塞ぐまでは大方終わっています。ボードとボードとの間やビスを打ち損じたところなどはパテを塗って平らにしないと壁紙が貼りにくそうですが、それ以前にボードが平らになっていないところもあったりしてこれをもう一度外して修正してやる必要があります。

・・・って書いてますが、こんなこと、普通の体力の人が2、3人いたら数日でできてしまうようなことだと思うのですね。でも自分には体力がない。おまけに不器用ときています。父親が自分より少し上の歳くらいの頃にうどん屋をやめたのですが、その店舗の中身を自力で部屋に改装していた時のことを覚えています。コンクリート土間に束を立てて床を作り畳を敷いて窓まで付けていました。ああいう器用さを自分は引き継いでいない。

何より引き継げていないのは、生きることを楽観しながら人と付き合う能力。これはもう全く引き継げていない。

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親や兄弟にある肯定的能力を自分が引き継げなかったというのは、悲しいことでした。かなり小さな頃からそのことは自分にはわかっていた。時々やってくる耐え難い悲哀感。友達だと思っていても最後まで信頼しあえない感じ。そうしてある時から彼らが自分と違う場所にいるなと思うあの感じ。味方になってくれていたはずの人が次第に自分を疎んじていくあの経過。なんとか「次は良くしよう、良くなるようにしょう」と思ってもなんともしようがなかったあのもどかしさと悲しさ。

学校でも社会でも進めば進むほどに疎外されていくあの感じ。そうして今も、外はこんなに暖かそうで穏やかに晴れているのに風邪の後始末のためにもう少しじっとしているしかない。進めたいことが進められない。「生きていればなんとかなる」だろうということは、言われなくてもたいていの人が思ってきたことで、それがそうなっていない社会だから大きな意味の福祉制度が国の規模にしては明らかにおかしいのだけれど、それは社会のせいにしてはいけないことになっている。個人の生きる姿勢、その在りようにすべての「責」が帰せられる。生まれつきの障害は乗り越えるべきものとされ、環境のせいにしてもいけない。

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自己肯定感を小さな頃から削がれてしまうというのはつらいことです。「自分がダメ」なのだからなんとか周りから認めてもらえるようにしないといけない。いつもへらへらと笑っていて、決して対立してはいけない。周りに合わせることを優先しなければならない。けれどもそれはとても虚しい作業です。
周りに、それではうまく合わせられたとする。自分の本意ではなく。何とかしたとする。でもそれで得られるのはヒヤヒヤしながらその状態を継続していく覚悟と努力の継続です。そんなつまらないことはない。「今我慢していけば何とかなるだろう」と思ってやってきたその「先」がこれかと思うと、もういらんなと思うのです。

そこをフォローしてもらうはずのものは「環境」です。けれど子供の時も大人になってからも、常に周りに合わせることを優先して生きてきた弊害が現れて、周りは「この人であればこのままで大丈夫」だと判断する。「もっと苦労している人がいる」「もっと大変な人がいる」「この人はできるのに障害に甘えている」何たらかんたら・・・。「こっちの障害の方がたいへん」「本当の?社会の底辺で頑張っている人もいるのに贅沢だ」、などなど。はいはい。そう思うんだからそう言うてたらえーやんか。
僕も障害を理由に親のことなど大半放棄したってもええねんでぇと、思わなくもない。

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スマホが割れてしまったので新しいのに替えるのにお金を捻出しないといけないので、一眼レフの交換レンズやコンパクトデジタルカメラやら当の割れたスマホやら、今は使うことがないMacOS10.5やらを譲渡してお金を作りました。でも今頃になって交換レンズは惜しくなってきたりする。仕事でようやくもらえたお金は使いたくない。せっかくの一眼レフだしズームレンズだけでなく単焦点レンズのクリアな像も楽しみたい。なんとかならんかな。

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