フォトフラッシュバック的なこと・嫌だったこと家の改装特性生活

モノクロの季節

モノクロっぽい樹々と空

相変わらず疲れやすく、生活リズムも午後から夜中・朝方にかけてが中心。食欲はあるので食べてしまうから少しでも動くために壁修繕と簡単な家事と。あと、夕食や修繕作業で必要なものの買い物と犬散歩に父親を車に乗せて出ることで少しでも外の空気を吸ったり人に触れるようにしている(直接だれかれと話したりするわけではないけれど。)。

壁の修繕は今の自分には相当疲れる作業なのだけれど、やっておかないと家の半分が有効に使えないし、玄関のある建物だから一応普通にそこで過ごせる状態にしておきたい。滅多にないけれど人に入ってもらう場所として、ケアマネさんなど母親の介護に関わって下さるような方を除いて入って頂く部屋がないというのはあんまり望ましい環境ではないと思うので、夏の終わりごろからぼちぼちやってきた。

もう3ヶ月かかっているけれど、腐った木部を取り除いて代わりを入れたり継ぎ足したり。まだ健全なところには防腐剤を塗った。木部をとる際に破れてしまった防水紙(透湿紙)があったところに新しい紙(本当は紙ではなくプラスチックに近いような材質のものを紙状にしたものらしいけれど。)を入れた。明らかに穴が開いていて外が見えるような穴や隙間を内側と外側からコーキングした。あんまり大きな穴には建材用の粘土を入れ、ここを利用してあとからテレビのアンテナ線を入れようと思っている。ついでに今階段を這っているLANケーブルも天井裏へまわしたりして、なるべく建物内でコード類が目立たないようになればと思っているけれど、これはまだ最後の段階。

これまで出来ているのは、新しい断熱材を狭い方の部屋の壁に入れるところまで。こちらは横幅も、それから天井裏から床までの縦の長さも偶然なのかぴったりとはまった。あとは壁として貼る薄い合板がしっかりと固定できるように、柱と柱との間に横木を入れて、合板を細かく釘留めできるようにすること。あとで「ボワンボワン」しないように。

修繕中の壁

作業は基本ひとりで、どうしてもアドバイスが欲しいときやここの部材を買わないといけないと説明する時だけ父親を部屋に入れている。フィルター使い捨てのつもりで空気清浄機をいつもまわして自分は少し厳重なマスクをしているけれど、父親はやはりその環境に長くいるべきではないと思う。
考えだすと「ここも、あそこもできればこうしておきたい」と思う部分が増えるばかりになって頭の許容量を越えてしまうから作業はなるべく時間を決めてやっている。今日など置き時計を作業台に置いて「30分」と決めてその通りにした。そうすると疲れも限定されるし、作業が進もうが進むまいが次のことができる。できる、と言っても父親が夕方に誘ってくる買い物につきあうだけなんだけど。

モノクロっぽい樹々と空02

夕方の時間が本当に短くなった。昨日から突然!冬の気候になって寒さに弱い自分にはつらい季節。自室には窓が四つあって冷気がよく伝わってくるのでこれまでつらかったけれど、この間ホームセンターで梱包材の「プチプチ」10m巻きのものを買い窓を覆うように貼ったらこの冷気がだいぶマシになった気がする。昼間、陽があたる時間は明らかにこれまでより暖かい。これはお金もかからないし、格好こそわるいけれど実質をとるにはいいやり方だと思った。暖かくなって不要になったらそれこそ梱包材としても使えるし。

ほぼ同じ画角になっているけれど、犬を散歩させた公園で葉の落ちた樹々と雲の多い空を撮ったら、本来カラーなんだけどモノクロを思わせる風景だと感じた。夜に目を覚ましている時間が多くなってはいるものの、やはり明るい時間が少なくなる時季は寒さとともに自分にはつらい気がする。気持ちが陰鬱になりがちになる。そのせいか、若い頃、3月の終わりあたりになるとなんだかうれしかった。これから光が周囲に満ちてきて自然もまた息吹き始める時。
大学は途中で辞めているのだけれど、一度休学し、また復学したものの何も希望がなく、駅から20分ほどの道のりを高校の頃と同じように一人で歩いていた時、気持ちは毎日落ち込んでいたけれど先の季節感を感じるような頃合いには胸が躍った。

あの頃、まだネットもなく携帯ももちろんなかった。身近で人とつながれないのなら薄くてもネットでつながりを持つ、ということができなかった。その分、本や週刊誌、新聞を読んで自分の「みじめな」環境からひとときでも離れる時間をもとうとしていた。高校、大学で唯一安心できた空間は、前にも書いたと思うけれども図書室だった。
僕はこれまで自分について「あんな偏差値の低い大学さえ出ることが出来なかった」(かなり偏見を含んだ表現ですが、事実「偏差値」で評価されてきた世代でもあるので。)とずっと思ってきたし今もそう思って悔しいことがあるけれど、最近、「あの大学を出なかったことは実はそれでよかったのではないか」と思う瞬間が出てきた。
もっと言えば、高校生活も友達のない空虚なものだったけれど、あの高校さえ本当はあんなに我慢して卒業することはなかった、その方が今の自分にもっと「誇り」が持てていたのではないかなと。

これからしばらく、過去の学校についてのこだわりについて、考え直す時間をときどき少しだけ持てればなと思う。

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