MacPC不安と予測体調特性生活

OS10.6の勧めと底をついた気持ち

像の前の花01

ここ三日ほど、寝込むことが多かった。風邪気味だったこともあるけれどなんだか疲れが急にどかんときた。唯一からだを動かすこととして夏の終わり以来やっている壁の修繕に疲れたのかも知れない。あんなこと、本当は調子の悪い時にやり始めるものではない。けれど、家や自分にとっては益になることだし、やればやっただけ目に見えて物事が進むので、からだが動くのであればやっている方がいいと思っていた。お医者さんに話しても止められることもないし、先行きの不安や今の心配でこころを苛んでいるよりよほどいいと思うので、このことで疲れたのならそれは悔いはない。

もうひとつは、これまで自分のこと、親のことについて、今現在やこれから先について、どう動いていけばいいのかということをかなり具体的に考え続けてきた。でも、そのことに疲れた。

いくら具体的に現状や先行きを考えてみても不確定な要素は出てくるばかりだし、第一周囲は自分が思うように動いてはくれないものだということも感じた。それに自分が思うことすべてが正しいわけでもない。そうこうしている間に、気持ちがやや「底をついた」というのか、もうこれ以上考えるのは無理だと思うようになった。一応、具体的に考えて動いてみる作業は(今の壁直しも含めて。)自分としてやることはやった。あとは「いきあたりばったり」でもいいんじゃないかと思おうと、寝込んでいる間に考えていた。

食欲は、特に夜中のそれは衰えない。むしろ食べたい方へ傾くので、体がよわってしまわないためには今はそれでいいんじゃないかと思う。幸い熱は出なかったし、今日はインフルエンザの予防接種に行った。この春、両親ともにインフルエンザにかかったときには参ったけれど、あのときのことを先生も思い出してか、父親への接種はしばらく見合わせることになった。今度病院でそれをしていいものかどうか聞いてこようと思う。もう病院の診察室にはいっしょに入りたくないのだけれど、そうした方がいいのならそうするしかしょうがない。

像の前の花02

MacのOS移行作業はだいぶ進んだ。デスクトップは10.6に統一してファイルを整理し、Time Machine用のハードディスクはこれまで外付けにしていたものを内蔵した。このことでバックアップが始まるといっときMacの動作が止まってしまうわずらわしさから解放された気がする。本来、バックアップ用ディスクは外付けが安全なんだろうけど、特にアップルが内蔵を否定しているわけでもないし、OSやソフトウェア、データを置いているディスクと別のものであれば、それほど問題もないように思う。

あとはノートの方をどうしようかと思っている。こちらも10.6に戻してしまうのでもいいけれど、あんまりアップルの最新の状況から離れるのもいやだし、ディスクを2つのパーティションに分けてこちらはOS10.11を主体にしてみてもいい。仕事のときだけ10.6を立ち上げることにすればデスクトップとの環境の違いもなくなる。OS10.6のいい点は、かってアップルがあっさりと切り捨てたモトローラ製のPowerPCというCPUでしか動かせないソフトウェアを「ロゼッタ」という仕組みを使って使えるようにしている点。これがあると以前使っていたAdobe CS1も使おうと思えば使える。ロゼッタはOS10.7からなくなってしまったので、10.6というバージョンは、今考えると仮想環境で最新のWindowsから古いMacのソフトウェアまで動かせる貴重なOSなのだと改めて思う。

以前、遠方の友達からMac miniの動きがわるいので機体を新調した際のデータ以降について相談された際にも一度はこの手もあったんじゃないかと考えてみたのだけれど(その人はPowerPCでしか使えないソフトを使いたいという希望をもっていたので。)、替える前の機体のパワーが仮想環境を使うには足りないだろうことやOSがもう市販されていないのでオークションなんかで探さないといけないことなんかを考えて、新調されたのは正解だと思った。今のMac miniは僕の持つ一昔前のMac Proより抜きん出ているところもあるし、新調されたのは今後のことを考えるに際してもよかった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください