仕事依頼作業同居犬特性特性への工夫

理想を追わない

来た頃のチロ01

もう8年くらい前になるのか、うちに来たての頃のお犬。ワクチンを打ってから先生の指示でまだしばらくは外にも出さず、家の中で過ごしていた。考えてみればこの時からずんぐむむっくりの奴だったなと思う。自分もまた新しい環境に入り立てで、夜は犬を柵から出していっしょに寝るようにしていた。すると朝も5時半ごろに起きだして顔を蹴ったりするので「お前、まだ早いやろう」と早朝から一悶着起こしていたのを想い出す。

両親も高齢だし、自分も昼の生活があって外へとでてしまうのでもう犬を飼うのはどうだろうか?と思うところもあったけれど、このままでは「落ち着いた」というよりは「さびしい」雰囲気に家全体が包まれてしまう気がして、ちょっと無理をして飼うことにしたのだった。まだ両親もぎりぎりのところで健康を保っていたし、いまのように頻繁に医者や介護に関わるようなこともなかった。年に一度程度は少し遠くまで旅行にも出かけられた。

あの頃、自分を取り巻く人がまた次第に増えてきて、それと共に、何に起因しているのかわからない、小さな頃から感じ続けてきた人中での不安や気持ち悪さも強く再燃しかけていた時期だった。理由の根っこに生まれつきの障害があったからだとわかるのに、さらに数年を要した。

来た頃のチロ02

今はまた家での依頼作業をぼちぼちとやっている。けれど、気候のためか疲れを溜めているためなのか、合間によく休みを挟まないとなかなか取り組む気になれない。結局夜中、シーンとして部屋も涼しくなったところで、ふだんあんまり電源をいれることのなくなっているデスクトップを久しぶりに起こして、ソフトウェアの使い方も久しぶりに思い出しつつ、やっている。前回、こちらのミスではなかったものの出来上がりに不具合があったので急いで連絡をして修正をしてもらった。今回はそんなことがないように、自分もいっそう気をつけて、でも、あんまり肩肘張らずに「納得さえしてもらえればいい」という考え方でやっている。でないと今はちょっと「こころのダム」の水が堰から溢れ出しそうになることが多い。

「前向きに考える」とか「肯定的に見る」という癖が小さな頃からよくついてこなかった自分は、これからもそんなに劇的にその性質を変えられるとも思えない。それらの言葉には常に「後ろ向きでいてはいけない」というような「批判」を感じてもきた。実際にこの社会で好まれる人はできれば常に「前向きで明るい」人だと思う。悲しいこと、不機嫌になるようなことはあっても基本的に生きる力に満ちていて安定感のある人。そんな人になれればいいなと思うものの、実際にはそんなにうまくは変われない。

それなら基本はムリをし過ぎないで生きて行くしかないのだろうなあと思う。多少のムリはしなければいけない時もある。でもそれをし過ぎない。あんまり高い理想を追わない。今できることを負担になり過ぎないように、疲れすぎないように、そしてそこそこの結果が出せる程度でやる。ギリギリまで自分を追い詰めるくらいなら、下を向いてため息をついてもいいのだ。そうしながら目前のことをチカラを入れ過ぎないで淡々とやる。この時「もっと!もっと!」とは、自分の場合は思わない方がいい。

あれ、犬のことを書いていたら自分が生き続けていくための心得みたいな文章になってしまっている(苦笑)。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。