一日中寝ていたい

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先週半ばあたりから疲労感が増してきて、できれば一日中、寝ていたいと思うようになった。考えてみればこの春、4月くらいから父親の食欲が減退してきて心配をし出してからこれまで、緊張することが多くて、また実際に緊張を呼び起こされるイベントも続いた。父親がいなくなってからは手続き事が重なり、これからまだ手をつけないといけない仕事もある。それらのことを考えていたらなんだか気持ちが限界点を超えていた。ちょっとした刺激でイライラするし、先をものすごく悲観するようになった。

今年はどうも「ツイていない」年のようで、20年近く頂いてきた仕事も父親の状態が悪くなっていくあたりと合わせるように断りの連絡が入ってきたりもした。ちょうど主治医の診察を終えて薬局の駐車場に着いた時に連絡を受けて、確かに今年は発注も随分と遅れていたし、それから仕事をいただいてもかなり焦って仕上げないといけない頃合いだった。けれど仕事を頂いていれば父親の様子を見ながら病院のデイルームででもやり抜こうと考えていた。収入の上では毎年とても頼りにしていたものだったので、このことではかなり力を落とした。その代わりの仕事も入ってくる様子はない。

強い緊張と悲観をごまかすために、MacのOSをこの際できるだけ最新のものへと上げてみることにした。デスクトップは「裏技」を使えばmacOS Sierraにできないことはないようだけれど、ここは無理は避けることにしてこれまでadobeのソフトのためを考えてOS X mavericksにしていたものをEl Capitanへとそのままの状態で更新した。僕のadobeのソフトのバージョンではそこまでは全く対応していないし保証もない。確かにエラーも起きたりする。これではとても仕事で使うべき環境ではないけれども、調べてみると少なくともネット上ではそこをクリアしている人もいるし実際に対処をしてみたらイラストレーターもフォトショップも、El Capitan上でエラーなく動くようになった。これが本当に「完全に動いている」と言えるのかどうかはわからないけれど。

ちなみに参考にしたのはこのサイト。

http://doratex.hatenablog.jp/entry/20160921/1474401468

それとsafariやchromeのバージョンも新しくなったので、これまで読み込みでエラーが出ていたサイトでそれがなくなった。

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夜中に調理する

投稿日: コメントするカテゴリー: フォト親の療養生活

父の喪も明けたので本当に久しぶりに一眼レフカメラを起動して近場に出てみたものの、何も心に響かないのです。以前なら、「これは是非撮っておきたい」というものがあったのに、何を見ても気持ちを動かされることがない。

父親に関わることはまだ終わってはいないし、今度は母親の体のことが心配にもなってきます。インスリンを打っているので低血糖になりやすく、三度の食事をきちんと摂らないといけないのですが、ヘルパーさんが来られない日は本人のメニューが難しく、料理のレパートリーのほぼない自分には困ったことになってしまいます。

明日はヘルパーさんが来られないので、夜も遅くなってから空いているスーパーへ行ってともかくも明日の昼と夜の母親用の食材を買いました。今の夜中の間に作っておこうと思っています。

もうがんばらなくていい

投稿日: 2件のコメントカテゴリー: 未分類

台風前の夕空

不思議と強いかなしさは来ない。おだやかななつかしさも来ない。そして緊張感は残っている。行けばまだ病室のベッドの上にいるような気がする。ときどき「この暑い夏を、父親は無事今年も過ごして行けるだろうか」と考えていたりする。次の瞬間に、「ああ、もうそれを考えることはなくなったんだ」と思い出す。

何も変わらない気がする。その瞬間から世界の見え方までもが変わるような予想をしていたけれど、何も変わらない。

もう何も食べれなくなり、楽しみも少なくなり、せん妄が少しでもやわらぐように現実感をもってもらいたいと思って畑の様子や犬の姿をスマホで撮っては見せたりしていた。わかる時には「ほぉー」とよくできた野菜の様子に感心をしていた。「お、かわいいな」と犬のことを話していた。

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苦しいときのビートルズ

投稿日: 4件のコメントカテゴリー: フラッシュバック的なこと・嫌だったこと仕事悲哀感抑うつ的気分経済

日差しのあじさい01

もうあじさいの時季だということも忘れていた。夏のような日差しを浴びてもしっかりと花を開いていた。

何十年も前の話、大学を半年休学して、それでもどの方向へ行くとも定まらずに結局元の学部学科に、今度は人より半年遅れて戻った頃、つらかった。興味のわかない勉強。やりたいと思っていた事ができなかった失望。やっぱり高校の時と同じように居場所は講義室と図書館だけになった。ひとりで行き帰りする校舎と駅との間。

その頃、たまたまビートルズの「Let It Be」の歌詞が耳に入って来て、その頃の心境と、「なすがままに、あるがままに」という言葉がなんだかぴったりとくるような気がして、歩きながら心の中で口ずさんでいる事がよくあった。

今また深い喪失感を味わっていて、これからしばらくのあいだ、いくつかのそれに見舞われることになり、その後も実際的な問題に直面しなければならないことを思うと、もう一度、あの何十年か前の若い頃の苦しかった自分が口ずさんでいた曲が思い出されてくる。

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障害者に多様な収入の機会を

投稿日: コメントするカテゴリー: サイト作成人との関わり経済

春の公園01

久しぶりにワードプレスのエディタを開いてみたものの、いったい何を書けばいいのかわからない。

そういえば最近、またホームページを作ってみたいとふと思って、以前使っていた作成ソフトを再インストールしてみた。けれどもそれを使ってどんな中身のサイトを作ればいいのかがわからないという本末転倒状態に陥っている。なぜページを作ってみたいと思ったのかというと、今のひどい焦りの気持ちをひとときどこかに閉じ込めておくのに、そんな作業をするのがいいんじゃないかと考えたからで、何かを特に伝えたいということではないから、テーマが浮かんで来ないのも当たり前なんだろう。

ところで、このサイト作成ソフトを作っているのがデジタルステージというところで、これは「劇団第三舞台」なんかをプロデュースしている会社、サードステージから派生した会社らしい。一番最初にこのソフトを購入した時に社長の製品に対する思い入れがやたら強かったので興味を持ってその人をネット上で追っていたら、ある時、「自分が人にこころというものがあるとわかったのは30歳になった時ぐらいから」と言っているのを聞いて、ちょっとびっくりした。

そしてそれがどういう意味なのかよくわからなかった。少なくとも会社の代表を務めようとすればそれを支援してくれる社員を集めないといけないし、それをまとめる魅力が当人にあるべきだということになる。もしその人が「人にこころがあるなんてわからない」となったら、それだけの配慮もできず、会社なんか作れなかったんじゃないかと思った。ただ、他にその補佐をする人がいて、自身もようやく30で相手の気持ちを慮ることを覚えたというのであれば、持っている優れた能力(ソフトウェア開発)を生かしつつ、集団の代表になることもできたということなのかも知れない。

ある意味、発達障害の一種「アスペルガー」に似た状態にある人のような気もした。けれどネットで見る限り、人との会話は流暢だし相互に理解し合うこともできている。

優れた能力を持っている。しかし人の心の中には興味はなくあくまで自分が中心である。そのことについて特別罪悪感を感じることもないし、人から受ける感情に気持ちが左右されることもないという状態は、もしその能力で仕事が出来て行くのなら僕には逆にうらやましい存在だ。実際、そういう人も見て来た。高校の頃は周りとほとんど話すことがないけれど成績は飛び抜けているという人もいたし、以前いた職場では普通の会話はできるけれど飲み会などには一切出ない。けれど仕事はよくできるのでその点では一目置かさざるを得ない。上司はその人を嫌うけれどもその人はそれで特別苦しんでいる感じはない。そんな人もいた。

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無題

投稿日: コメントするカテゴリー: 抑うつ的気分経済親の療養生活親への支援

僕の生活はこのままでいくともうじり貧だ。このままぎりぎりのところまでいって、あとは行政が何か手を差し伸べてくれるのかくれないのかを待つしかない。けれども親のことは、社会的手続きや病院への付き添いや病状の進行をみていくこと、介護の連絡やは必ずやらないと前には進んで行かない。やがては最後に関わることもある。それを放棄するわけにもいかない。
ただ、自分の先行きがじり貧だということがわかっていながら、それらを同時に進めて行くということに、どうしても疲れた。できることなら、親のことがすんだら自分はもういなくなりたい。

若い頃はまだ仕事もできた。誰にもそうは考えてもらえないのかも知れないけれど、たまたま自分が精神科に通院していたり作業所に通った経験があったこともあって家族会活動にも参加し、それに生き甲斐を見いだしていた時期もあった。あの頃はまだ力があり、新しく自分を生き直すんだという気概もあった。それが、それを仕事として考えようと思い出した日から周りからの目は明らかに変化した。新たに立ち上げようとする作業所にボランティアとして加わりたいと話してみた時も、皆の前で叱責を受けた。「君は何を言っているんだ。いつまでボランティアをしようと言うんだ。」大勢の家族の前で怒られた。「開所するにあたってひとりひとりがどんな気持ちでいるかを尋ねたい」と問われたから自分の気持ちをそのまま話した。けれどそれがあんな叱責を受けることになるとは思わなかった。ひとりのお母さんが間に入ってとりなしてくれたのを覚えている。

開所前、資金集めに自分の病院にもビラを置かせてもらおうと足を運んだ。すると既存の作業所の運営委員を引き受けられていた先生から自分がいつも診察を受けている部屋で叱責を受けた。「君らはどうしてあいさつに来ないんだ。誰が責任者なんだ。」
僕は、自分がいつも主治医に自分の悩みを話してはそれをフォローして頂いている部屋でそのような言葉を別の先生から受けた記憶を今でも消せないでいる。ショックだった。作業所開設のお知らせは既にしていたし、設立のために会を開いた時にもその作業所の職員さん宛にお伝えもしていた。その前後、父親が倒れて先生に院内で出会うたびに、僕は気を遣った。なんとか元の僕に対する精神状態に戻ってもらいたいと思って必死だった。けれど最後まであの時の叱責についてまた話し合う機会はなかったし、僕の中に「お前がわるいのだ」と先生から言われたという記憶は残った。

作業所は結局、大きな心の傷を作って離れた。人を信じる事が難しくなり、こわくなった。病院の待ち合いで別のご家族から怒られたこともある。でも僕はけして「義理」でもなく、自分がその場にいた時には、どなたかの不幸があればその最後には出向いた。けれどその後のことでそうしないのはどうしてなのかと怒られたときには、自分はどう答えたらよいのかわからなかった。そして人との付き合いというのは、いったいどこまで必ずやり遂げなければ・・・それが自分のこころの状態がわるい時にも、相手から叱責の目で見られているような時でも・・・しないといけないのかということを、自分の診察を待ちながら怒られている時に思っていた。

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